長い間、過酷な多摩川で苦労を重ねたカラコが河川敷を脱出することになりました。私たち2人共、昼夜問わずの慌ただしい日が続いていたこともあり、ブログを書く時間さえ見つけられない状態でしたが、今頃になって遅まきながら書いています。
カラコが単独で多摩川に捨てられたのは、2003年6月のことでした(生後4ヶ月)。その4~5日後が私とカラコとの初対面でした。当時、その場所では3匹の先住猫がいました。シロと名付けられた母親猫、その子供ミエコ(♀),クロ(♀)。親子もろとも遺棄された猫のお世話をしていたのは Tさんという当時75歳くらいの方でした。Tさんは細かなことは気にしない、とてもおおらかな人でした。ここにカラコが加わってTさんと4匹での暮らしが始まったのです。
2007年9月6日夕方、関東を直撃した台風による増水で水嵩はみるみる増えてきました。夜になってもその勢いは増すばかり、周囲のおぃちゃんが避難を促しても、安心していたのか言うことを聞かなかったそうです。翌朝、水位は一気に9m 近く上がり、猫とおぃちゃんは小屋もろとも濁流にのまれてしまったのです。おぃちゃんとシロ、それとミエコは行方不明のままです。
運よく生き残ったクロとカラコはその隣に小屋がけしていた Aさんの小屋の中に逃げ込んでいました。やがて、水位がある程度落ち着いた頃にA さんが心配して小屋の中を覗くと水が後10cmで天井に届くところだったそうです。クロとカラコは収納棚の上に登り、その10cmほどの隙間に2日間いたのです。
仲間だった Tさんを失った Aさんはクロとカラコの面倒を見ることにしました。一度水に浸かった小屋は異臭が漂い使い物になりません。少し離れた場所に新たな小屋を作り、そこで暮らすことにしたのです。それなりに穏やかな日々が続きましたが、2010年8月にクロが原因不明のまま病死したのです。
その後、一時的に14~15歳のガリ(♀)という老猫が付近から迷い込んで来て、カラコと同居していた時期もありましたが、ガリは寿命を全うしたのか、しばらくして死んでしまいました。
2013年11月~2014年1月頃、Aさんは短期間に体重は25kg落ち、激しい息切れと倦怠感を覚えるようになり、2014年からは歩くことさえままならなくなってしまいました。2014年3月上旬頃に Aさんはカラコとの別れを余儀なくされ、福祉から入院治療を受けることになりました。
2014年3月、主を失ったカラコや後に捨てられた仲間の猫は毎日ご飯を食べることのできない猫になってしまいました。近くに住むおぃちゃんにも給餌のお願いをしましたが、色よい返事はありませんでした。私はなるべくそのに通うようにしました。Aさんと顔見知りだった方が市街地から給餌に来たこともあるようでしたが、それは一ヶ月に一度くらいだったようです。他にも高齢の方がいらっしゃいましたが、足が不自由で週一回くらいだったようです。
そんな訳である時はわざわざ、何かのついでに立ち寄れれば必ずカラコ達のところに行きました。A さんを失ってからのここ1年4ヶ月はカラコにとっては筆舌に尽くしがたい苦労がありました。
7月10日(保護)、空腹に耐えきれずに姿を見せたカラコを見たときは思わず感情が高ぶってしまいました。今日で多摩川は卒業です。キャリーに入れるとカラコは不安から細い声で鳴き続けました。私はこのときにカラコの鳴声を初めて聞いたのです。多摩川では病気の後遺症などから声のでない猫は決して珍しくありません。
私はカラコは鳴けない猫だと12年間思っていたのです。
それと、カラコはこれまで多摩川に居て大病をしたことのない丈夫な猫でした。2011年,2012年,2014年の夏に軽度の皮膚病になり、それは投薬で簡単に治すことができました。
10日間の点滴、検査入院を済ませたカラコは割り箸のようだった足にやや肉がついていました。しかし、退院したとはいえまだまだ衰弱している猫だということは否定できない様相です。これから時間をかけて太ってくれれば幸いです。
多摩川とは別世界の小さなキャリーの中では不安が収まらなかったのでしょう。よく鳴くのでタクシーで Hさんのもとにお届けしました。心優しく気心の知れた新たな飼い主さんはカラコの到着を大変に喜んで下さいました。
タクシーでの移動中はこれまでのカラコとの12年間の出来事が走馬灯のように頭を駆け巡りました。[感慨深い」だけではとても足りないくらいの想いでした。
NO,1 2003,6月、Tさんと。
NO,2 2003,9月 左はミエコ(♀)
NO,3 2011, 5月 Aさんが居た頃。
NO,4 2014, 5月
NO,5 2015, 7月10日(保護)
I.M. 2015.08.01(土) 08:02 修正
小西さん、本当にご苦労様でした。
どの命もそうでしょうが、語りつくせない思いのこもった関係だったのだと思います。
今まで、見守ってくれたおいちゃん達や仲間の猫たちの導きでゆったり余生を送れることとなったのでしょうね。
本当にわずかな幸運だと思います。
一緒に生きることを決断してくださった方にも、この場を借りて御礼申し上げます。