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タマ猫日記~428

2010.04.01

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 東京都多摩市の河川敷を後に日野市に居るクロベエ達の所に行きました。河口から約48km地点です。クロベエはうっそうとした雑木林を延々と進んだところに相方のナナと居て、おばちゃんに飼われています。
 3年程前にはウィルス性の風邪がなかなか良くならず、連日何度も薬を持参して通ったことがあります。しかし、今は元気で暮らしています。ナナも無事に冬を越し、やや太っています。

 ここには他に4匹の仲間もいたのですが、フジコ(09.11/23死亡)・キンタロウ(09,11/25死亡)・サクラ(09,12/1死亡)・シロッコ(09,12/6死亡)と立て続けに死んでしまったのだそうです。症状を聞くと、どうやら悪性の感染症が原因のようですが、はっきりはしません。何かあったらとおばちゃんには電話番号をお教えしていたのですが、そのメモが見つからなかったのだそうで、お互いにとても残念な思いをしたのです・・・。小屋の傍には4匹の猫のお墓がありました !

 日もだいぶ長くなりました。夕方近くになるとおばちゃんは散歩に行きます。勿論、クロベエとナナも同行します(^^)

ゆっくりと時間が流れています。一見、のどかな風景にも見えますが、人も猫も大変な境遇の中で肩を寄せ合っているのです。

タッちゃんという猫

2010.03.28

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 忙しさに追われ、なかなかご紹介できなかった猫がいます。
今日はそんな一匹の猫についてお話させて下さい。

 その猫と出会ったのは去年の7月11日。いつものように自転車で多摩川に向かう途中、一軒の民家の中にある白い車が見えました。その白い車のバンパーの上に黒い物があって、私はてっきり車を拭くモップか雑巾の様に見えました。通り過ぎようとした瞬間に目を奪われました。あれは猫ではないか・・・そう思った瞬間、引き返しました。生きているのか・・・傍に寄って猫の状態を見ました。もうぐったりとしていて、かすかに呼吸をしているのがわかりました。体は骨と皮でお腹の肉もへこみ、何日も何も食べていない状態が続いている病気の猫だと分かりました。私が体を触ろうとしてるのに黒い猫はまったく目を開けませんでした。脱水と貧血を起こしていて動く気力も無いのです。細くなった腕をそっと持ちました。猫はされるがまま腕はだらりと垂れ力が入りません。腕を握って猫に話しかけました。「大丈夫かい? 生きれるかい? まだ頑張れるかい? 」すると薄目を開けました。その目はうつろで私を見ようともしません。遠くを見ていました。風邪の症状も無く、顔はきれいでした。とにかく美味しい缶詰を開けて鼻に持っていって匂いを嗅がせて見ましたが、何も反応してくれませんでした。
 その日は薬箱に持参していたプロポリスがあったのでミルクに溶かしてスポイドで少しずつ口に垂らしながら入れました。明日会えたら私にできる限りの事をして一緒に頑張っていこうと思いました。

 多摩川に限らず、どこでも外猫達は誰かに餌を貰いながら必死に生きています。人がお世話している猫にむやみに私は手出しをしませんが、瀕死の猫については見過ごす事はできません。

 奇跡というのは本当に起きる事があります。。。。
黒猫はふらふらで起き上がるのもやっとという感じでしたが、二日目にミルクを与えた時、少しだけペロペロと舐めてくれました。口の中がかなり悪い状態かもしれないと思い、コロイダルシルバーを飲ませました。そしてa/d缶を少し口に入れてみました。ほんの少し舐めてくれました。奇跡は3日目に起きました。黒猫はミルクを飲み始めました。a/d缶にもミルクをたっぷりかけて流動食にしてみました。すると、ゆっくりゆっくり舐めるようにして自分から流動食を食べ始めました。感動と同時に嬉しさで涙が出そうになりました。まだしっかり立てない体を支え「立って、頑張るんだよ。大丈夫、私がついてるから」と祈りながら何度も言いました。そして、4日目、ガリガリに痩せた黒猫は立っていました。そして薄目が少し大きく開いて、生きる気力が出てきたのを確かに感じました。そしてだんだん黒猫は食べる量も少しずつ増えて、口の動きもしっかりしてきました。a/d缶にペット用のミルクをかけて流動食にして食べさせるというワンパターンの毎日が続きました。しかし、これが良い方向に行っている事は猫を見ていて手に取るように分かりました。黒猫はa/d缶を毎日食べ、ミルクをがぶ飲みする日が続きました。本当にみるみる体力がつき、やっと立って歩けるようになりました。よく頑張ってここまで立ち直ってくれたと感謝しました。  
 この猫をタッちゃんと呼んでいます。元気になって欲しい、立って欲しいと願う気持ちで一心だったので・・・立ってくれた時、思わず「タッちゃん!!」と呼んでいました。タッちゃんは女の子です。
 
とにかく、病気を治すため、乗り越えれる為にも体重が少しでも増えて体力がつく事だけを考えていました。食べれるようになれば体力は必ずついてきます。

 機会があればこの家の人からタッちゃんの事を聞いてみようと思っていましたが、いつも留守で会えずにいました。その後に奥さんと会えてお話が聞けました。奥さんは「あなたがクロちゃんのお世話をしてくれたのですか。有難うございます。何も食べれなくなって動けなくなってたので・・・帰ってきたらもう死んでるだろうなと思ってたんです・・・そしたら元気になってたのでびっくりしたんですよ。」と言いました。
 タッちゃんは5年前位に捨てられていて、この家の庭に居ついてしまったらしい。餌をくれるおばさんもいたらしいが、食べなくなってきたので諦めたらしいのです。
 もう私は覚悟を決めてましたので、奥さんに「この猫のお世話を最後まで私にさせて下さい。最後まで責任を持ってお世話しますのでお願いします」というと、喜んで承諾してくれました。
 タッちゃんに暖かい小屋を作って、毎日お世話してました。
タッちゃんは私が来る時間には待っていて、私の自転車の音を聞き分けて小走りで出迎えてくれるようになりました。
食欲が出て凄い食べるようになったので動きも機敏になってました。8月は良く食べ体調が良かったです。ただいずれ病院に連れて行かなければと思っていました。
 そして、10月に入って、食欲がある時と時々あまり食べれない時が交互に続いていました。 私も日々多摩川のお世話で忙しく動いておりましたが、11月2日、多摩川のお世話を終えて自宅に戻り、キャリーバッグをとってタッちゃんの所へ行き、タッちゃんを病院へ連れて行きました。タッちゃんの健康状態を全て検査するための血液検査をしました。内臓関係は問題ありませんでした。
エイズ・白血病も陰性です。
 問題は口の中で、手術をする事になりました。
重度の口内炎を治療しながら、そしてそれ以上に、食べれない理由は歯にありました。歯が悪いというより、原因が良く分からないのですが、ギザギザの歯根が何本も残っていて、その上から歯茎が歯を覆っているのです。物を噛む度に歯茎に埋もれてるギザギザの歯根が歯茎に突き刺ささり激痛で食べる事ができなかったのです。先生は「放っておけば死んでいたでしょう。でもミルクやペースト状のa/d缶をずっと与えていたのは正解ですね。噛まなくても食べれたのでしょう。」
 タッちゃんは埋もれている歯を9本全て取り除く手術をしました。犬歯1本、臼歯1本も抜歯しました。
そして、一週間後、11月9日に退院しました。それからはびっくりする位、なんでも食べれるようになり、今はドライフードが大好きで良く食べています。最初、茶色になってた毛並みも黒々と本来の色を取り戻し、体も丸く標準体重になりました。
 タッちゃんも飼い主がいませんので、幸せになって欲しいので里親募集をしております。体を触られるととても喜びます。
今現在、タッちゃんがいる家の人は引越しをされてます。まだその家は空き家なのでそこでタッちゃんは今も小屋に入って静かに暮らしています。毎日私はタッちゃんのお世話をしております。
 私の家は狭くて、タッちゃんをすぐにでも保護をしてあげたいのですが、スペースがありません。今はアイヨも自宅保護してますので無理ができません。引越しをして少しでも助けたい猫を保護できる体制にしたいと2年前から考えておりますが、今の所、忙しい日々に追われ実行に移せないでおります。
とにかく、タッちゃんは毎日お世話をしております。
いつか飼い主さんになってくれる人が見つかるように努力したいと思います。

 皆様には日々見守っていただきまして、温かいご支援をして頂き本当に有難うございます。

 コメントも大変嬉しく励みになっています。いつも有難うございます。

 小西美智子 

タマ猫日記~427

2010.03.26

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 最近ご無沙汰していたカラコの様子を見てきました。日差しはあるものの、かなり寒い一日でした。おぃちゃん銅線を包んでいるビニールをニッパーで取り除いたり、廃棄された金属部品を銅や真鍮に取り分けたりの作業におおわらわでした。からっ風の吹く寒さの中で汗だくで頑張っていました。
 これもみんなカラコの餌代を捻出するためなのです。山のような残骸からそれぞれの金属別に手作業で分解するのは大変な労力です
。長年、河川敷で暮らしていると体への負担が積み重なってきます
。ヒザや肩に痛みが走り、扁桃腺や肝臓の具合も悪化しています。
それでもおぃちゃんは笑顔だけは絶やしません。

 おぃちゃんの笑顔の先にはいつもカラコが居ます。去年の夏はかなり悪性の皮膚病に感染し辛い思いをしていた時期もありましたが
、薬で治すことができその後は健康そのものの様子でした。
カラコは元々きつね顔でしたが、最近はややふっくらと丸顔になっています(^^)今年で7歳ですが、幼い頃に捨てられ体に負担をかけているので体は小さいのです。知らない方が見れば6ヶ月位の仔猫
に見えるでしょう。
 カラコの大好きなフードとおぃちゃんには温湿布と風邪薬・食品
をお渡しし、無事と元気を確認して大田区の河川敷を後にしたのです。
 

タマ猫日記~426

2010.03.19

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 今日もみんな元気で居てくれました。
途中、屋根の上から私たちを見ているのはHさんちのチビです。過去何度も体調を崩したり、いろいろな苦難を乗り越えて生きています。こうしてすれ違いに顔を見せてくれると安心するのです。
 元々、体の丈夫なテンテンも頑張っています。もう7年も前のことでしょうか。雪の中で発見したテンテンを始めて見たときは本当に悲惨な様相でした。
 最近のトッチは相変わらずジッポといっしょです。オスどおしで何だか良い雰囲気になっております !

 先日も3/4の日記の救急車で移送されたYさんのことを案じておりました。歩く事もできなかったのですから、「生きて帰れない可能性もあるね。」と2人で話していたところでした。
 ふと見ると、猫の餌場のダンボールの切れ端にカミさん宛てのメモ書きがあることに気が付きました。「奥さん救急Telありがとう。今○○に居ます。夕方5時までに帰ることになっています。奥さん来るまで居たいですが夜の時間がない。」・・と書かれていました。
 歩く事も、身じろぎすることもできなかったYさんはどうやら電車と徒歩で自分の小屋まで来れたようです。とりあえず安心しました。後は大病でなければ良いのですが・・。

 先週12日は近くに住むおぃちゃんが亡くなりました。テント小屋に2人で居たのですが、一方の重症の方を介護していた方が座ったままの状態で亡くなったのです。(58歳)
このブログを読んで下さる方のなかには「具合が悪くなったら病院に」と思われる方が多いと思います。しかし、おぃちゃん達は死に直面しても、絶対と言ってもいいくらいに自ら病院に行く人はいないのです。

Yさんが大きな声で冗談を言う、そんな元気な姿をまた見たいものです。

タマ猫日記~425

2010.03.15

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 今日は名無しの「ニャー二ャー!?」を紹介いたします。
この猫がおぃちゃんの所に居ついたのは07年9月の台風による河川の氾濫が収まった頃です。上流から流されてきたのか全身が泥水だらけで、いったいどんな毛色の猫なのか判別ができなかったそうです。どこからか奇跡的に迷い込んできたこの猫は周辺を歩く人達からよく虐めにあっていたそうです。以来、今日まで見知らぬ人間に対しては絶対に近寄ることはありません。
 おぃちゃんはかわいそうにと思い、汚泥に浸かった小屋の修理をしつつ根気良くエサをあげたのです。

 それから3年の月日が経ち、「今はもうこの猫のいない生活は考えられない。」と言います。それだけに猫と接する時のおぃちゃんの表情ときたら・・(^o^)/
「以前は人に対して手荒なことをしたり、失敗もしたけどこの猫と出会ってから人格が変わっちゃったよ。」「猫が俺を変えてくれたんだよ。」と言うだけにおぃちゃんは猫に対しても人に対しても優しい方なのです。
 3年間を共にしたこの猫に特に名前を付けてはいませんが、用がある時には「二ャー二ャー」・・と呼びます !

[ 追記 ] 本日発売の CREA CAT No,3にTAMA猫の事が掲載されています。(P.68~71) 関心をお持ちの方は本屋さんでご覧ください。
※写真&キャプション 小西 修
※ 文        梅津 有希子

アイヨ、15日間入院、無事退院のお知らせ

2010.03.13

 皆様にご心配おかけしております。アイヨが元気になってくれるまでは不安な日々が続いておりましたので、お知らせが遅くなってしまいました。あまりにも苛酷な環境で耐えていた猫ですので、もしこんな結果でアイヨを死なせてはならない・・・と、強い思いで保護しました。アイヨにもこれからは良い人生を味わって過ごして欲しいと切に思いました。
 
 3月11日(木)、アイヨは長い入院を経て、やっと無事退院をしまして、今現在自宅にて引続き療養中です。今はたくさん食べていますので体調面は問題なくなり、元気になりました。どうぞご安心して下さい。

 アイヨは2月22日(月)に入院したのですが、体重は2.7kgでした。

 アイヨが捨てられて動けなくなってた時の状態はぞっとする位の洗濯板のような体で横たわっていました。その頃は2kgも無かったと思います。毎日の世話が功を奏して食べた物が身になっていきながら、体力がついて丸みが出て太ってきてくれてました。
もともと小柄な女の子ではありましたが、河川敷で怖い思いをしてパニックになり5日間食べれなくて極端に怯えていましたので、これ以上の体調不安は生命に関わってくると判断しての緊急入院でした。脱水症状も起こしているのですぐに皮下注射や点滴、抗生剤、ビタミン剤投与などを行いながら様子を見る事になりました。 一応の血液検査全般(QBC検査も含め)をしましたが、大きな問題となる病気は見られませんでした。気になる数値は全て原因が分かっています。
そして、エイズ・白血病検査も陰性でした。

 アイヨは入院してからも3日間食べてくれませんでした。そして4日目の夜から突然食べ始めたそうです。先生から食べていますよ~と報告いただいて、張り詰めていた心配からようやっと解き放たれ私は生きた心地になりました。
とりあえず、アイヨが食べてくれるようになる事が第一とそればかりを願っていましたので、食べてくれれば他の事はともかく、また体重も増えて体力がついてくれると喜んでおりました。
 そして27日(土)、安心して退院の日を迎え、アイヨは自宅で静養する事となりました。ところが、、、そんな嬉しい気分はまもなくどん底に突き落とされました。アイヨは再び食べれなくなってしまったのです。。。。。水も飲まず。。。アイヨは家の中で緊張の連続で再び体も気持ちも萎縮してしまい、症状が戻ってしまいました。猫はデリケートな生き物、人間が想像する以上にそれはとても繊細で個人差もあります。本当に極端に神経質に怯える子もいますので、人間はその部分を大事に考えて察してあげなければならないと思っています。
 アイヨは好きなa/d缶も見向きもせず、ミルクや流動食も与えてみましたが、時間を置いて吐き出してしまいました。何もかも受け付けなくて、吐物に血が混じりました。吐いた胃液もピンク色に染まっていました。胃炎まで起こしてしまってると思いました。

 アイヨの気持ちを考えると本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。怖い思いをしてストレスで食べれなくなり、病院に連れて行かれ、少し食べれるようになったらまた移動されて初めて見る家に連れて来られ、もうアイヨは不安が頂点に達してしまったのでしょう。場所が変わる事が猫にとって一番の恐怖ですから、3箇所も変われば、受けたダメージは計り知れなかったと思います。
 私も覚悟をしました。とにかく今はアイヨの精神状態の安定だけ考え、アイヨが落ち着くまで、そして本当に安心して食べれるような気持ちになってくれるまで時間がかかっても長い目で待ってあげなければと思いました。
 もう一度、やり直しのチャンスをと神様に祈り、3月3日(水)アイヨは再入院しました。先生もアイヨの性格も配慮して頑張って下さいました。
 ただ、ここでもう一つ、アイヨには問題がありまして、実はアイヨは歯が無くなってたり、残る殆どの歯も相当に悪い事が判り、アイヨの歯はぐらぐらになっていて、途中で折れてる犬歯も根元の歯茎の炎症が激しく、もしかしてその菌が鼻の方に影響をして鼻水が止まらないのではと先生が言いました。確かにアイヨは風邪を引いて、治療して治っても、鼻水が完全に止まりませんでした。今は食べる事に支障がなくても今後に影響するため、アイヨの体調が万全にそして健康な状態になるために、アイヨの歯の手術もすることに決めました。アイヨは最初、若い猫だと思ってましたが、7~8歳ではないかと先生に言われました。アイヨは虐待も受けて栄養状態も最悪でしたので、私は半信半疑ですが・・・。

 アイヨは再入院してから再度、点滴、皮下注射などによって体力維持し、少しずつ食べれるようになってきて、8日(月)に歯の手術をしました。お蔭さまで手術は無事成功しました。
 
今は以前のように大食いになって、なんでも食べてくれています。今はアイヨを見ていて私も幸せを感じています。

 皆様に、アイヨを見守って応援して頂いて、本当に有難うございました。アイヨは皆様のお気持ちに励まされ、よく頑張ってくれました。元気になってくれて本当に安心しました。
またそのうち、元気になったアイヨの写真もご紹介します。

小西美智子

タマ猫日記~424

2010.03.12

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 最近のトッチは「思うところ !?」があるようで、少し離れた場所にいるジッポの所に身を置いています。周辺の猫は縄張りがあり敬遠されるのですが、ジッポは寛大な性格の猫なので、どうやらそこが落ちつくようです。どちらの猫も私たちだけが面倒を見ている猫ですが、こうやって2ショットでの光景は私達にとって目新しいものです。これまでにトッチが居た場所はリードを外された犬により何度も怖い思いをしてきた場所でもあり、これから暖かくなるとなおさらです。ここは一般の人が踏み込まない所なのでトッチの小屋をこちらに移動するのが良策などと考えています。

 トッチと言えばどうしても相棒であったチャアカを思い浮かべてしまいます。台風の増水に7匹が流され、その1週間後に奇跡的に生還したのですが、おぃちゃんも小屋もすべて流された後でした。
それまでと違い、2匹になったチャアカとトッチはいつもピッタリとくっついて行動を共にしていたのです。チャアカが死んで1年と5ヶ月になり以来単独で生きていましたが、こうしてジッポのそばに佇む姿には何だか感慨深いものがあります。

 昨年11月頃の話、多摩川に生息するスッポンを飼っているおぃちゃんに仲間から「忘年会の鍋にしよう。」とか「新年会の時に食べよう。」とか声をかけられていましたが、飼い主のおぃちゃんは頑なに断り続け、2匹のスッポンも無事に歳を越すことができたのです ^^; しかし、今月9日の寒波の到来により深さ10cmの水槽の水が凍りついてしまい、あえなく凍死してしまったのです。

今年一番の寒さ

2010.03.10

 3月9日、今日は降りしきる雨、時折みぞれが混じる寒い中で猫達のお世話に回りました。今年の冬で今日が一番寒く作業も辛く感じました。雨の中で7箇所を回って飢えて待ってる猫達のお世話をするのですが、正味2時間の作業は手の指先がちぎれそうになる位痛くて、指が思うように動かなくなり、歯を食いしばって痛みを我慢しました。猫達も冷たい雨に濡れ、それでも焦って食べてましたが、お腹一杯になるとあっという間に小屋に入りました。
冷え込んでるので多摩川の水面全体からは湯気の様な蒸気が一面立ち上がり、ゆらゆらと流れていく幻想的な光景でした。
 
 ホームレスさん達はこんな日は小屋から一歩も出ません。ひっそりとしています。
 Aさんも同じく、猫達と一緒にテントの中でじっと耐えていました。入り口のシートをほんの少しだけめくって頂いて、食べ物だけお渡ししました。冷たい風が入り込んでは申し訳ないので雨の日は長居せず遠慮します。でもAさんは優しくて、雨の日でも私が来てくれるのを知って、温かいミルクティーを作って私に差し出してくれた時もあります。
 「寒いから中に入ります?」と言って下さり、Aさんのせっかくのご好意や気持ちが嬉しくて、本当に狭いテントの中にオジャマさせて頂いた事もあります。猫のサンタとタマコは差し上げた猫ベッドで寄り添って寝ていて、カラスはダンボール箱の中でおとなしくしていて、そこには狭いながら心温まる小さな一家団欒の幸せがありました。
 この家族を見ていると早く本当に幸せになって頂きたいと願わずにいられません。Aさんとは色んなお話をしています。
ただ、Aさんは今はまだ生活保護を受ける気持ちになれないでいます。頼る身内もなく、これまで孤独で辛い経験をしてきた人です。傷ついた心や精神的疲労は計り知れません。Aさんの気持ちは察してあげなければなりません。今はゆっくりAさんと猫達が食べる事に困らないように食べ物や必需品、支援金をお渡しして見守っている所です。
 Aさんと知り合って丸二ヶ月になりますが、河川敷でタマコもサンタも一時体調を崩したり、ケガをした時もありましたが、治療して今は良く食べて元気になって過ごしています。Aさんは、「いつも気にかけて頂いて感謝してます。有難うございます」といつも丁寧にお礼を言って下さいます。Aさんの身の安全のためにも、これからも毎日ずっと見守っていきます。そしていつか、本当の安全な住まいを見つけてあげたいと思っています。一歩一歩、その実現のために時間はかかりますが、最終的にAさんが喜ぶ形にしてあげれるよう努力したいと思います。 

 皆様にはいつも見守って下さいまして、感謝の気持ちでいっぱいです。Aさんについてはこれからも少しずつご報告させて頂きます。どうぞ、長い目で見守って頂けたらと思います。

 小西美智子

 

タマ猫日記~423

2010.03.07

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 冷たい雨の中、今日も私たちを待っていてくれる猫がたくさん居ます。いつも現場で真っ先に目が合うのがここのボス猫「ホタル」です。随分と歳を重ねてきましたが、ホタルは今でもしっかりとボスとしての仕事をこなしています。それに私たちだけが面倒を見ている場所なので私たちの事をいちばんよく知っている猫がホタルなのでしょう。単純計算すると365日×15年=「5475日」休むことなく会っていることになります。
 15歳になるホタルも実はこれまでに3~4回は死んでいたことと思います。「もうホタルも長くないな。」と直感した事が何度かあるのです。しかし、体調を崩す度に現場での治療を続けた結果が今日あるのです。ホタルよりはずっと、ずっと新参者だと思っていたチャッコも早12歳になり、やはりホタル同様に瀕死の状態に至ったことがあるのです。
 以前、ここにはオジー(♂)という猫も居ました。人間同様に厳しい環境下で歳を重ねると様々な要因で死への危機を迎えることがありますが、頑張って18歳まで生き抜いてくれました。私たちの誇りでもあります。
 猫世界の秩序を守るためにも、まだまだホタルには頑張ってもらいたいと願っています。

追い詰められる命・・・その後

2010.03.04

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 「有難う・・・」担架に乗せられたおじさんが最後に私の目を見て言いました。「おじさん、元気になって戻ってきてね」と運ばれていくおじさんの体に手を当てて見送りました。
3月2日、一日早い「ひな祭り」で散らし寿司を作りました。もしかしたらおじさんが食べてくれるかもと、最後になるかもしれない食事を心をこめて作って行きました。「おじさん、大丈夫?」「いや、もうだめだ・・・体が動かないよ」「おじさん、散らし寿司食べれる?」「いや、もう無理、食べれないよ・・・」「おじさん、救急車呼ぼうか」「うん、呼んでくれる? すまんね・・・」
16時28分、救急車を呼びました。

 追い詰められる命(1) でお知らせしましたYさん、12月から体調が悪くなり、3ヶ月間、毎日食べ物を運んでお世話していました。カセットコンロを使用するのは苦手で最後までダンボールを集めて火を熾して煮炊きしていた人です。しかし、体がおかしくなり、起きれない日々が続きました。火を使わなくても食べれるよう、炊いたご飯やサラダ、煮物やおかず、パン、牛乳やヨーグルト、果物、体に良い納豆や卵、豆腐類、おじさんの好きなお菓子など毎日色々と考え、準備して食べ物を持参していました。「おじさん、どう? 大丈夫?」「あんたのお蔭で生きているよ」とおじさんは嬉しそうにしていました。おじさんは本当に孤独な人なので誰も助けてくれる人はいません。寝たきりで小屋から出れなくなれば「飯拾い」で食いつないできたYさんにとって、まったく食べる物が無くなります。そうなれば餓死してしまいます。それが分かっているから放っておく事はできないのです。
それが原因で餓死して発見される人もいるのです。

 1月20日あたりから、少しずつ体調が良くなってきたYさんは
「あんたのお蔭で元気になってきたよ」と笑って話をする時もありました。そして久しぶりに火を熾してました。昔からいつも煙が上がってたので、おじさんが火を熾している姿を見ると嬉しくなりました。お湯が沸かせるので、ポタージュや味噌汁、レトルトのカレーやご飯、カップ麺、なんでも食べれます。おじさんは本当に嬉しそうでした。
 その後、何度か気を失って倒れた時もあって、血を吐いたり、救急車を呼ぼうと思う時はありましたが、おじさんは救急車を呼ぶのを拒み続けました。
 おじさんの気持ちを尊重する、お付き合いをしている限り、とにかく気持ちを分かってあげる事が大事だと思っている私は、決しておじさんの気持ちに反するような事はしませんでした。「おじさんが呼んで欲しいと思う時はいつでも呼ぶから言って下さい」というと「有難う。いつも心配かけて悪いね」と言ってました。おじさんが救急車を拒む理由はもう一つ、
もうここに二度と戻って来れないだろう・・・と思っているからなのです。
 おじさん達は自分の立場をよく分かっています。冷たい社会、今の日本という国を充分に分かっているからこそ、助けを求める権利を失い、ぎりぎりまで我慢して生きています。死ぬ寸前まで助けを求められない、求め難い社会・・・こんな社会は間違っています。命の差別などあっていい筈がありません。どんな命も生れてきた以上、同じ命、生きる権利があるのです。私は人も動物も命を等しく同じ価値観で尊重されなければ、決して良い国、良い世の中にはならないと思っています。

 おじさんの足は骨が浮いて、私の腕位の細さになってしまってました。顔の肉も殆どおちて、小さくなってしまいました。
おじさんが救急車に運ばれていくお別れの時、そこに私は呆然としたまま、おじさんが見えなくなるまで立ち尽くしていました。

 皆様からはいつもホームレスさん達に対しても温かいお気持ちとご支援を頂いております。どれだけホームレスさん達も助けられているかわかりません。皆様の優しい心のこもったご支援にいつも心から感謝の気持ちでいっぱいです。Yさんもお礼を言っておられました。本当に有難うございます。

 私も毎日の猫達のお世話とホームレスさんのご支援をしておりますので、忙しく動いておりますが、こうしてご支援ができます事は
常に皆様のお蔭だと心から感謝しております。

 Yさんがまた元気になられる事を、奇跡が起こってくれる事を願っています。
 いつも見守ってくださり、皆様本当に有難うございます。

小西美智子

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